Kazutaka Tsutsui, early keyboard instruments player.
古典鍵盤楽器奏者、筒井一貴>音楽関係>最初期ピアノの世界(クリストフォリピアノ周辺)

CristoforiConcert at Sapporo 2001. 4. 4. ★ピアノの発明に関する誤った認識
★ピアノ発明前史
★クリストーフォリ(クリストフォリ)の出現
★近代的な意味におけるピアノの誕生
★今後予定するクリストーフォリ(クリストフォリ)ピアノ関係のトピック
★現存するクリストーフォリピアノ


(2001.4.4. 札幌、筒井一貴クリストーフォリピアノ・リサイタル)

★ピアノの発明に関する誤った認識★

いまだにピアノの発明は1709年とする資料が極めて多く、日本のインターネット上でもほとんどがそうなっていますが、実は・・・
ピアノは1700年までに発明されていたことが裏づけられており、ニューグローヴ音楽事典にも、とっくに掲載されているのです(世界的には1698年頃という記載が徐々に増えつつあるようですが、信憑性は極めて疑わしいです)
そしてそれは、単純にチェンバロに打弦機構を組み込んだだけの安直な思いつき制作、また雇い主のフェルディナント王子の意に従っただけの試作にとどまることはなく、クリストーフォリ(クリストフォリ)は生涯を賭してこの新しい楽器の改良に努めて1726年までに極めて洗練された完成度の高い楽器に改良したのでした。情報の少なさから、先入観や単純な発達史観でしか語られていない最初期のピアノの世界を、できる限り史実に基づき、また演奏家の立場からも紹介します。
(未完、随時拡充しています (..) )

★ピアノ発明前史★

最初期の鍵盤楽器に関する資料で最も重要なのは、ズウォレのアンリ・アルノー(Henri Arnaut de Zwolle)が1440年頃に書いてブルゴーニュ公に提出したもので、クラヴィシンバルム(clavisimbalum)、クラヴィコルドゥム(clavicordum)、ドルチェ・メロス(dolce melos)、オルガン、リュート、ハープの図面集(パリ、国立図書館所蔵)です。アルノーは、クラヴィシンバルムの図面に4種類の発音機構を提案しており、このうち3種類が弦をはじく方法で、1種類が弦をたたく方法なのです。このことは、チェンバロと同様にピアノに対する技術的興味自体が古くから存在していた証といえましょう。すなわち「弦を叩いて発音する」というのはことさらに新しい考え方ではなく、ピアノの出現を「当時主流であったチェンバロが強弱がつかないことを不満に思って、強弱のつく鍵盤楽器を求めようとした」という観点からのみ語るのは、必ずしも適切ではないのです。また、クラヴィシンバルムとは別にドルチェ・メロスも打弦式鍵盤楽器であり、アルノーの図面が細部にわたって具体性があることからも、ピアノの先祖と言うべき楽器はすでにこのころに存在していた可能性は充分にあるのです。しかし、ドルチェ・メロスは一台も残っておらず、コレこそがピアノの先祖である! と正面切って一般に主張するのには少々はばかられる存在であるのも事実です (^_^;

★クリストーフォリ(クリストフォリ)の出現★

Bartolomeo Cristofori, 1655-1731 バルトロメーオ・クリストーフォリ(Bartolomeo Cristofori, 1655-1731)は、1655年にイタリアのパドヴァに生まれました。1687年、ときのトスカーナ大公コジモ3世の長男フェルディナント王子(Ferdinando de Medici, 1663-1713)がパドヴァに立ち寄った際にクリストーフォリの楽器をいたく気に入り、以後40年の長きにわたってメディチ(Medici)家の楽器の管理を任されることになったのでした。
(なお、このフェルディナンド王子をトスカーナ大公、としている資料が多いですが、実はトスカーナ大公になったのは、フェルディナンド1世・フェルディナンド2世、そしてコジモ3世とその次男すなわちフェルディナンドの弟であるジャン・ガストーネなのです! 当ページも 2001.5.24. まで誤っていました (^^;;; )
ここでクリストーフォリは生活が完全に保証され、豊かな創意工夫の才能を存分に発揮できることになったのでした。彼の楽器は2つとして同じ楽器がないほどに工夫が凝らされていて、そのなかで最も奇抜な楽器が後年「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(Gravicembalo col piano e forte)」と呼ぶことになる、「強弱のつけられるチェンバロ」なのです。

★近代的な意味におけるピアノの誕生★

ボローニャとフィレンツェで作曲家兼オルガニストであった宮廷音楽家: マンヌッチ(Francesco Maria Mannuci)が日記の中で、クリストーフォリと出会ったときのことを回想している、との報告があります。1698年春にマンヌッチはクリストーフォリと出会い、このときに「ハンマーメカニックが取りつけられた鍵盤の模型」を見せられた、と書いている、という報告があります。研究論文として初めて明らかにされたのは1964年、ファッブリ(Mario Fabbri)のイタリア語論文の一部分でした。ただ、マンヌッチの日記の自筆は発見されておらず、この Fabbri の主張の信憑性は極めて疑わしいとされています。

一方、最も確実性の高い資料は、1700年に編纂されたメディチ家の所蔵楽器目録です。この中に「クリストーフォリ(クリストフォリ)の手による、ハンマーアクションを備えて強弱のつけられるアルピチェンバロ」に関する記載があることから、ピアノの誕生は遅くとも1700年であるのは疑いありません。
この記載を翻訳すると(英語文献からの孫翻訳なので不正確な可能性があります)・・・ 原文:イタリア語
バルトロメーオ・クリストーフォリの新しい発明による、強弱のつけられるアルピチェンバロ(Arpicembalo)。1音は同じ(ユニゾンの)ピッチの2つの弦からなり、響孔(ローズ)のないサイプレス材の響板を持ち、ケースの側面と湾曲部分(ベントサイド)は黒檀の帯で象眼され、弦に触れるところに赤い布がつけられたダンパーと、強弱を可能にするハンマーを持っている。メカニック全体は黒檀で象眼されたサイプレス材で覆われ、ナチュラルキーはツゲ材、シャープキーは分割鍵盤になっておらず黒檀材で、下のCから始まって49の黒鍵と白鍵を経て上のcで終わる。鍵盤の両端には黒い木のブロックがついており、その上部に黒いつまみがついている。楽器の長さは217.6cmで、幅は98.6cm、譜面台はサイプレス材で、外ケースは白ポプラ材、そして赤い革のカバーは緑色の布地(タフタ)で裏打ちしてあり、金のリボンで縁取りされている。
このあと、マッフェイ(Scipione Maffei)侯爵による有名な紹介記事があらわれます。これは、1711年にヴェニスで出版された『イタリア文人誌(Giornale de' letterati d'Italia)』紙上に発表されたもので、マッフェイが1709年にクリストーフォリと会って実際に楽器を見て書いた紹介記事です。この中で、マッフェイは「彼はすでに3台の普通サイズの新しい楽器を作っていた」と書いています。すなわち、1709年の段階で既にクリストーフォリは少なくとも3台のピアノを作り上げていたというのが史実であるのに、これがなぜか誤解されて、1709年にピアノが発明された、という誤った認識が広がったのです。この、後世の人間が勝手に思いこんだ間違いは、21世紀になった現在ではもはや訂正されなければなりません。なお、この紹介記事は、わずかな印刷上の訂正をほどこしたうえで1719年にヴェニスで再出版されています(Rime e Prose del Sig. Marchese Scipione Maffei, Parte raccolte da varij libri, e parte non piú stampate)。ここで、1711年版には楽器の名称が「Gravecembalo col piano e forte」となっていて、1719年版では「Gravicembalo col piano e forte」となっていることは知っておく必要があります。そしてその後ようやくドレスデンの宮廷詩人ケーニヒ(Johann Urlig König)がドイツ語に翻訳し、1725年にドイツ・バロックの代表的な作曲家で理論家でもあったマッテゾン(Johann Matteson, 1681-1764)の主宰する音楽雑誌『音楽批評(Critica Musica)』に所収されてハンブルクで出版されています。すなわち、ドイツ語圏にクリストーフォリの発明が印刷物の形で伝わったのは、ようやく1725年以降、しかもそれは1709年当時の最新情報(^^;が16年も遅れて伝わったのでした。

さてもう一点、マッフェイはあくまでも文筆家であり、自分自身メカニズムを理解して記述することが困難であったことを認めています。しかもドイツ語版が出版された1725年の翌年の1726年にクリストーフォリは決定版の楽器(現ライプツィヒ大学楽器博物館所蔵)を作り上げているわけですから、文献に記載されていた当時の楽器とはそもそも次元の違うレベルに達していたのでした。クリストーフォリの楽器の斬新な構造が正しく伝えられず、結局はピアノの歴史の中で誤解に満ちた認識をされている理由の一つが、この紹介文献とのタイムラグでもあったのでしょう。下に記載しているアクション図を見比べても差は歴然としています。したがって、マッフェイが1709年に実際にクリストーフォリに会って楽器を見たとはいえ、その結果出版された図面を全面的に信用するわけにはいかないのです。現時点では、クリストーフォリのアクションの初期型がどのような機構であったのか、確認するすべはないのです。

さて、このマッフェイに基づいたケーニヒのドイツ語文献に目をつけて制作意欲を燃やしたのが、かの有名な鍵盤楽器制作家:ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann, 1683-1753)でした。ジルバーマンは、おそらくこの論文のみを基本資料としてピアノの試作を開始して、手始めに2台制作したところで大バッハ(J. S. Bach, 1685-1750)に見せて批判されたのです。これが良く言われる「高音部が弱すぎるうえに、弾きづらい」という指摘だったのです。しかし大バッハがその際に楽器自体の響き自体を褒めていることは、なぜか忘れられがちなのです。ジルバーマンは自分の仕事にケチをつけられるのに我慢ならないタチであって、しばらくは大バッハにムカついていた(^^;ようですが、結局は打弦機構について改良することに成功(実は、現在残っているジルバーマンのピアノのアクションは、クリストーフォリの1726年製楽器のアクションと寸法はおろか形態に至るまでまるで同じことから、独力で行ったのでないのが確実とみなされています)してプロイセンのフリードリヒ大王のもとに多数(フォルケルの「バッハ評伝」によれば15台!ちょっと誇張されているような気がする・・・(^o^;;)納入されるに至ったのでした。ジルバーマンはその改良品を再び大バッハに見せたのですが、このときには「申し分のない保証」を与えられたのでした。以下、白水社、バッハ叢書10『バッハ資料集』1983年 からの引用です
ゴットフリート・ジルバーマンはこの楽器[ピアノフォルテ]を手始めに二台制作したのだった。その一台をいまは亡き楽長ヨーハン・ゼバスティアン・バッハ氏が実見し、かつ、試奏した。彼はその響きをほめた、というよりは激賞したといってよいが、しかし同時に、高音部が弱すぎるうえに、弾きづらい(zu schwer zu spielen)という指摘をもつけ加えた。自分の製品に少しでもけちをつけられることに我慢のできないジルバーマンは、これを聞いてすっかりつむじを曲げてしまった。彼はこれを根にもって長いあいだバッハ氏に腹を立てていた。だがそれにもかかわらず彼の良心は彼にむかって、バッハ氏の言葉にも一理あるではないかとささやいたのだ。そこで彼は−これは大いに彼の名誉になることなのでいっておかねばならないが−これ以上この楽器の製造には手を出さず、そのぶんだけJ.S.バッハ氏によって指摘された欠陥の改良に専念しようと覚悟をきめることこそ、自分のなすべき最善の道であると考えたのだった。 この仕事に彼は多くの年月を費やした。そしてこれが製造の遅れの真の原因だったことは、それをほかならぬジルバーマン氏自身の口から彼の率直な告白として聞かされているだけに、私はいよいよもって疑う余地がない。これしてジルバーマン氏は、自分が実際に多くの改良を、とりわけトラクタメント[打弦装置]に関してのそれをなしえたと思ったとき、ようやくつぎの一台をルードルシュタットの宮廷に売り渡したのだった。ところでシュレーター氏がその141番目の『批評的書簡集』の102ページで言及している製品こそ、まさにこのときの一台ではなかったろうかというのが、私の推測である。その後まもなくプロイセンの国王陛下がこの楽器を一台、そしてこれがかしこくも陛下の御意にかなったためにさらに数台、ジルバーマン氏に制作を命ぜられた。 これらすべての楽器を見、そして聴くならば、そしてとりわけ私のようにあの二台の旧作のどちらかを目にしたことのある者ならば、ジルバーマン氏がいかに熱心にその改良のための努力したにちがいないかが、手に取るようにわかるのである。ジルバーマン氏はまた、自分の新作であるこれらの楽器の一台をいまは亡き楽長バッハ氏に見せて点検してもらおうという褒むべき功名心を発揮したが、これに対してバッハ氏は申し分のない保証を与えられたのだった。(J.F.アグリーコラ:アードルング著『楽器構造論』への註−ベルリン、一七六八年)

   クリストーフォリ1726年製ピアノのアクション動作動画
cristofori_action_1726
   クリストーフォリ1726年製ピアノのアクション図


cristofori_action_1709
ケーニヒのドイツ語訳所収のクリストーフォリピアノのアクション図

★今後予定するクリストーフォリ(クリストフォリ)ピアノ関係のトピック★

え〜、ここでアップするのをサボっていると、これで充分知ったと思われる危惧があります故(^^;、いくつかトピックを挙げておきます。(^^)
ゴットフリート・ジルバーマンの改良後のフォルテピアノのアクションは、実はクリストーフォリピアノのまるっきりコピーであった! したがって上記アグリーコラによる「トラクタメント[打弦装置]に関してのそれをなしえたと思ったとき」という記述は「トラクタメント[打弦装置]に関してクリストーフォリのアクションをコピーできたとき」と読みかえる必要があります
クリストーフォリはピアノを作った際、単にチェンバロそのままのボディを流用したのではなく、各所に打絃式鍵盤楽器であるために必要な工夫を随所に盛り込んでおり、それはきはめて本質的な工夫であった!
クリストーフォリピアノはチェンバロより音量が小さく、音の立ち上がりも鈍い楽器であった!(したがって、J.S.バッハのチェンバロ協奏曲を、チェンバロだとソロが埋もれてしまうから当時のピアノで弾いたのが正しい、という見解は大間違いなのです!!)
クリストーフォリピアノにはペダルはなかったが、手で鍵盤全体をズらすことで、ウナ・コルダが可能(クリストーフォリピアノは絃を二本張っている)であった!
クリストーフォリピアノには、楽器を壊さねばわからない非常に重要な構造上の秘密があり、それは楽器の響きを素直にするために極めて重要な役割を担っていた!!(これは直属の弟子:フェリーニにのみ伝えられ、後世に伝えられることはなかったのです)
ゴットフリート・ジルバーマンは彼独自の発想として、これまた手動のダンパー上げっぱなし機構(現代ピアノの右ペダル)を組み込んだ!→ジルバーマン・ピアノ「失われた50年」にGo!
筆者の私見ですが・・・ クリストーフォリピアノの誕生を「鍵盤楽器に強弱を求める」ことのみに帰着させるのには無理がある。なぜなら、クラヴィコードという強弱が充分につけられる鍵盤楽器が昔からそこらじゅうにあったわけですから。しかも、クラヴィコードは「伴奏に適する」という評価をもされているわけで、音量が小さすぎて使えなかった、という見解は誤りなのです!

・以下続々拡充(予定 (^^; )にて、乞うご期待!!
(2001.5.24. UpDated & Unfinished)

★現存するクリストーフォリピアノ★

制作年音域全長x幅x厚さ(cm)現在の所有者備 考
1720年C−f3(54鍵)228.6 x 95.6 x 23.5ニューヨーク、メトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art, New York)音域の変更・楽器端部切断など、大改造されている
1722年C−c3(49鍵)225.7 x 81.3 x 21.5ローマ、楽器博物館(Museo Nazionale degli strumenti musicali, Rome)アレッサンドロ・マルチェルロが所有していた
1726年C−c3(49鍵)243.0 x 81.8 x 20.5ライプツィヒ、ライプツィヒ大学楽器博物館(Musikinstrumenten-Museum der Universit閣 Leipzig) 


★鍵盤楽器について(参考)★

楽器名発音原理備 考
クラヴィコード打弦式音楽表現を学ぶのに最適とされている
ハープシコード撥弦式チェンバロ、クラヴサンなど、名称多種
フォルテピアノ打弦式概念が混乱している(筆者は金属のフレームを持たないピアノ、としたいが、音質の観点から平行弦のピアノ、と考えるのも一理アリ)
オルガン気鳴式管楽器であるのが特徴
タンジェントピアノ打弦式チェンバロのジャックのような木の棒を飛ばして弦を下から叩く
ガイゲンヴェルク擦弦式珍種(^^;


★クリストーフォリ(クリストフォリ)関係リンク★

http://www.unm.edu/~loritaf/pnowhy.html(英語ページ)New Mexico State University の Dr. William Leland によるピアノ誕生に関するページ。明快に記述されていますが、画像は1720年製で、アクション図が1726年製のものであるのが難(重箱の隅か?)
http://www.cantos.org/Piano/PianoHistory.html(英語ページ)Howard Piano Service の 調律師・技術者である、ROY E. HOWARD による解説。簡にして要を得た解説です
http://www.templeofmusic.com/Facts.html(英語ページ)ピアノの歴史をわかりやすく年表にまとめていますが、思いこみの記述が少々あり、ウラを取る必要あり
Vertual Piano Museum(英語ページ)1722年製のクリストーフォリの楽器についての記述がある
http://www.pianoworld.com/gallery/piano_pictures2.htm(英語ページ)1722年製のクリストーフォリの楽器の写真のみ